https://youtu.be/-DhMoC2WboE J1リーグ試合予想 名古屋グランパス対湘南ベルマーレ 予想:名古屋勝利 理由:名古屋は15位、32ポイントで、最近のフォームは回復傾向。ホームの豊田スタジアムで有利。湘南は降格圏内でアウェイが弱い。名古屋の守備が湘南の攻撃を抑え、勝利。 横浜FC対アルビレックス新潟 予想:引き分け 理由:両チームとも下位で降格争い中。横浜FCは直近12試合で1勝のみ、新潟もアウェイで引き分けが多い。リスク回避で1対1の引き分け。 セレッソ大阪対柏レイソル 予想:柏勝利 理由:セレッソは10位、42ポイントでホーム堅実だが、3位の柏は54ポイントで攻撃力強い。柏の得失点差が優位で、1対2のアウェイ勝利。 川崎フロンターレ対FC東京 予想:川崎勝利 理由:川崎は7位、48ポイントで3連勝中、ホームで強い。東京は14位、34ポイントでアウェイ失点多い。川崎の高プレスで2対1勝利。 浦和レッズ対鹿島アントラーズ 予想:引き分け 理由:上位対決。浦和は8位、47ポイントでホーム強いが、2位の鹿島は55ポイントでアウェイ無敗。互角の戦いで0対0の引き分け。 東京ヴェルディ対ファジアーノ岡山 予想:岡山勝利 理由:ヴェルディは16位、32ポイントで攻撃不振。岡山は11位、39ポイントで最近3勝。アウェイ適応力で0対1勝利。 横浜F・マリノス対アビスパ福岡 予想:横浜FM勝利 理由:横浜FMは中位で攻撃力高い。福岡は12位、37ポイントでアウェイ弱い。ホームの後押しで2対0勝利。 京都サンガ対清水エスパルス 予想:京都勝利 理由:首位京都は55ポイントでホーム絶好調。清水は13位、36ポイントでアウェイ苦戦。得失点差の差で3対1勝利。 J2リーグ試合予想 徳島ヴォルティス対北海道コンサドーレ札幌 予想:徳島勝利 理由:徳島は4位、48ポイントでホーム守備堅固。札幌は10位、40ポイントでアウェイ失点多い。守備で1対0勝利。 いわきFC対水戸ホーリーホック 予想:水戸勝利 理由:いわきは11位、39ポイントでホーム好調だが、1位水戸は54ポイントで安定。得失点差優位で1対2アウェイ勝利。 愛媛FC対ジェフユナイテッド千葉 予想:ジェフ勝利 理由:愛媛は下位でフォーム悪い。ジェフは3位、51ポ...
音読すると頭の体操になり滑舌も良くなるのでコミュニケーション能力を高められるそうです。
音読とは、声を出して文章を読むこと速く読めばより効果的だそうです。
認知症の予防
私は滑舌が悪く忘れ物をしたり人の名前が出てこないとか老化も進んでいるようなので音読をして脳を活性化したいと思います。
青空文庫から人間失格 太宰治
第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。
また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。
自分だって、それは勿論、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳を二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質の家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。
めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
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